京畿道(水原市) , 水原

京畿道(キョンギド)水原市(スウォンシ)八達区(パルダルグ)梅香洞(メヒャンドン)にある蒼龍門(チャンニョンムン)のそばに建つ東北空心墩(トンブクコンシムドン)は、非常時に備え城郭周囲の敵の動きを監視するため造られた望楼で、水原華城の城郭で最初に登場した楼閣です。 1796(正祖20)年、高さ5.42m、周囲38mの規模で完成した東北空心墩でしたが、韓国戦争(1950~1953年・休戦)中に完全に破壊され、1975年になりようやく復元されました。 水原華城には東北空心墩以外にも西北空心墩、南空心墩という楼閣もあります。東北空心墩は軍事的な要衝地であるばりでなく、水原華城にある建築物のうち、唯一円形をしており、希少性が高いものとなっています。 巨大な丸い円の形で、内部には韓国語でソラ、日本語で言えばサザエの殻のような形となった螺旋状になった煉瓦造りの階段があり最上部まで上がることができます。その形から別名・ソラ閣、つまりサザエ閣とも言われています。 最上階まで上がると水原華城全体が大変よく眺められます。


全羅南道(羅州市 )

全羅南道羅州市松月洞にある湖南線の駅です。竹林洞にあった旧羅州駅は、1929年、光州へ通学していた韓国人学生と日本人学生の衝突により光州学生独立運動が起こった場所です。そのため、長い間移設が引き伸ばされてきましたが、2001年7月10日、湖南線複線化開通により、栄山浦駅と統合されることで羅州市庁前に移転しました。現在は、湖南線のほぼ全路線が停車する他、KTXも一部停車しています。


京畿道(竜仁市)

自然豊かな子供たちの遊び場 農村学習体験場「ハンターポニー農場」では、農作物を実際に見たり、動物を触ったり、土の上で遊びながら、自然の大切さを知り、夢をはぐくむ体験学習型農場です。 平日には幼稚園や小学校の団体を対象にした体験学習農場が運営され、週末には家族連れのための体験農場として人気を集めています。


慶尚北道(尚州市 )

韓屋宿泊施設「松岡精舍(ソンガンジョンサ)」は洛東江でも優れた景色を誇る擎天台の近くに位置し、自然と調和した韓屋の美しさが際立つところです。客室の他、共用の台所と居間があり、各所には可愛らしい伝統小物が置かれています。ここでは伝統飲食研究会をともに運営しており、事前に予約すれば伝統飲食体験と食事を楽しむことができます。自転車のレンタルも可能なので、擎天台と洛東江をひとまわりしてみるのもいいでしょう。また、尚州自転車博物館、道南書院、尚州博物館へは徒歩でも行くことができます。


江原道(寧越郡)

西江は平昌江と酒泉江の出会う寧越郡西面甕亭里から東江と西江の出会う寧越邑までの区間です。 西江は寧越郡西面甕亭里仙岩村から始まり、端宗(朝鮮第6代王)が最初に流罪に処した清冷浦を抱き、東江と出会い南漢江に流れます。東江を水流の激しい男性的なシンボルとするなら、西江は水流の穏やかな女性的なシンボルとして表現されます。 西江にはオルムチやシュリなど1級河川にのみ生息する淡水魚がたくさん生息し、カワウソやカワアイサ、オシドリなどが見られます。最近、新しい観光地として脚光を浴びています。 西江の特徴は仙岩村の風景ですが、この村は驚くほど韓半島の地形にそっくりです。周辺には仙岩、 寧越立石、清泠浦、韓半島地形、 観瀾亭などがあります。


釜山広域市(機張郡)

1967年に旧・迎賓フェッチプとして営業をはじめた「コモクトンネ」は、七岩里の刺身屋としては元祖といえます。現在も変わらぬ味を提供しており、長い伝統を誇るアナゴの味を堪能できるお店です。


蔚山広域市(南区)

KBS蔚山ホールは蔚山広域市南区に位置し、コンサート、文化芸術祭、放送プログラム制作、博覧会、展示会、講演会、体育及び一般イベントなどを行なっています。およそ2,000人収容のKBS文化ホールをはじめ、便利な駐車スペース、最新の音響施設も兼ね備えています。 またKBS蔚山ホールでは蔚山市民がさまざまな文化に触れられるよう、KBS蔚山自ら映画上映も行なっており、蔚山ホールで実施しているバドミントンは地域住民の生活スポーツとして根付いています。


慶尚北道(高霊郡 )

ケシル村は朝鮮時代中期、嶺南士林派の宗祖である佔畢斎・金宗直(キム・ジョンジク)先生の子孫が作り上げた善山金氏(ソンサン・キムシ)の集姓村です。 およそ360年の伝統を受け継ぐ村で、民俗資料62号佔畢斎宗宅、文化財資料第111号道淵斎(トヨンジェ)、市道有形文化財第175号佔畢斎文集冊板及び彛尊録などの文化財を保存しています。 ケシル村にはおよそ60世帯がいまもなお住んでおり、土塀や韓屋を復元・補修しつつ韓屋村を今に伝えています。 村の共同運営により、韓屋宿泊体験、農産物栽培、伝統礼節及び伝統遊びなどの体験プログラムを実施しており、訪れる人々に農村体験の場を提供しています。 ハドン宅(ハドンテク)は梅室と竹室の2室がある韓屋です。梅室には台所とトイレが完備しており、竹室は外部共用トイレと台所を利用できます。きれいに手入れされた中庭やこじんまりとした韓屋の趣が感じられる素晴らしい韓屋です。 ケシル村の韓屋体験はケシル村営農組合法人が一括管理・運営しています。


江原道(鉄原郡)

鉄原(チョロン)駅は1912年10月21日に開業したソウルと元山(ウォンサン)を結ぶ鉄道・京元線の主要駅で、金剛山(クムガンサン)電気鉄道の始発駅でもあった駅です。 駅が旧・鉄原市街地にあったため、日帝強占期(1910~1945年)には同じ江原道(カンウォンド)にある春川(チュンチョン)に匹敵するほど人の往来が多く活気に満ちていたといいます。 またこの鉄原駅から韓半島の景勝地・金剛山に向かう金剛山電気鉄道が走っていたこともあり、通常の鉄道施設のほかにも金剛山電気鉄道の操車場、事務室、電気施設、旅館などが軒を連ね、当時はソウル駅と比較されるほどの大きな駅で、京元線沿線でも有数の駅に数えられていました。 残っている記録によれば、1928年には駅舎が新築され、1934年6月9日には駅構内の跨線橋やプラットホームの屋根も新設されました。 京元線は韓日強制併合(1910年)以降、日帝による住民の強制動員やロシアで起きた十月革命により追放されたロシア人らを雇用し敷設され、1914年9月16日には元山で京元線全線開通式が行われました。 京元線の総延長223.7kmのうち、鉄原駅からソウルの龍山(ヨンサン)駅までは98.1kmあり列車で約2時間、鉄原から元山までは125.6km、約3時間かかりました。鉄原駅から内金剛(ネクムガン)まで運転していた金剛山電気鉄道は、全線で116.6kmあり、終点・内金剛駅まで4時間半かかりました。 江原道(カンウォンド)鉄原郡鉄原邑外村里(ウェチョルリ)の鉄原平野の真ん中に位置する鉄原駅の敷地はおよそ5万坪にも及び、1930年ごろには駅長を含めておよそ80人の駅員が勤務していたといいます。 1950年に勃発した6.25戦争(韓国戦争・1950~1953年・休戦)中には、プラットホームが被害を受けたほか、給水塔が破壊され、レールも大部分がその痕跡だけを残し無くなってしまい、廃駅となってしまいました。 廃駅後は放置状態となっていましたが、駅構内の土地は、駅の復旧に備え、保全管理地域に指定されました。 2006年5月3日には駅構内に統一念願の枕木というモニュメントが建てられました。


慶尚北道(安東市 )

慶尚北道安東市(アンドンシ)豊川面(プンチョンミョン)にある九潭精舎(クダムチョンサ)は目の前に洛東江(ナクトンガン)九潭湿地が、背後には小高い山が広がり、遮るものがない広々とした青空を仰ぎ見ることができるところにあります。元々、光山金氏(クァンサン・キムシ)安東派の家系が代々受け継いできたところで、国語古典文化院クォン・オチュン理事長が買い上げ、新たに生まれ変わった九潭精舎は安東の自然を静かに満喫できる古宅です。 九潭精舎は河回村ではなく九潭湿地の近くにあります。およそ15年前までは安東へ基盤を移した光山金氏安東派の宗宅でした。しかし安東が新たな住宅地として注目を集めると、クォン・オチュン理事長は由緒ある宗宅を後世に伝え、より多くの人々に開かれた空間として活用することを思いつきこの家屋を買い上げました。その後、韓屋のいたるところを大々的に補修し、2010年5月、一般開放するに至りました。 中庭を囲む形で「口」の字型に建てられた韓屋の構造には手を入れず、改修しました。しかしながら古くなった瓦屋根は新しく葺き替え、韓屋の基礎となる基壇の石積みを長方形の石材・長台石に変えるなど一部本来の韓屋の造りに手を入れた部分もあります。また板の間と板の間を繋ぎ、建物のあらゆる部屋から部屋へと歩いて移動できるよう改築しました。煙突や塀は昔ながらの伝統の姿をそのまま復元し利用しています。このような改築の方針は、祖先が代々引き継いできた家屋に残された知恵や韓屋の趣を、多くの人が感じとってくれればというオーナーの心がよく表れているところです。 元々の韓屋と一番異なっている部分はこの韓屋の周りの部分です。中庭を、母屋前の庭の部分と舎廊(サラン)チェ前の庭の部分というふうに2つに分け、その間に塀を築き、内と外を分けたこと、そして3間の広さの高柱の大門を建てたことが一番の違いです。 また中庭を芝生で覆い、庭石や盆栽を置くなどして韓屋の伝統美をより美しく見せるように工夫しました。 九潭精舎の構造ですが中庭、母屋、外棟、裏庭があり、敷地が緩やかな丘をなしているのが特徴です。外棟には亭子(東屋)の形をした高殿の板の間があり、風流さを楽しむことができ、母屋には家族の生活空間であった奥の間があります。 建物の内側にある中庭は母屋の採光を高めるのと同時に空気の循環も促し、母屋の空間を外の自然と調和させる役割があります。前庭と母屋、囲むように韓屋が建てられている中庭の3箇所がそれぞれ自然の空間、人工的な空間、そして人の手が加えられた人工的自然空間と三重の構造をなしている形となっています。通常、韓屋は湿度が高く水を多く必要とする芝生は作らないのですが、この中庭には青々した芝生を植えました。これは韓屋の基礎となる基壇の下に四角い長台石を積み上げ、十分な高さを確保できたことで可能となりました。 九潭精舎ではエアコン設備はなく、冬にはオンドルの焚口に薪をいれ火をつけて部屋を温めます。不便さを感じることもありますが、ここに一泊したお客様は韓国にエアコンやボイラーがなくてもなんとかなるということを身を持って悟ります。夏は戸が多く風通しがよい韓屋の構造のため、ごろんとしているだけでも涼しく、冬になるとオンドルの焚口に近い方の部屋はかっかと暑くなり寒気も飛んでいってしまうほど温かくなります。 この韓屋の自慢は伝統御膳の食事。山から取ってきたエゾウコギ、桑の葉、タンポポなどを漬けた漬物や塩梅よく塩をふって焼いた安東塩サバ、化学調味料を一切使わない様々なおかずで構成される御膳は九潭精舎を訪れる人々にいつも人気満点のメニューです。