仁川(江華郡) · 宮殿高麗宮趾高麗宮趾は高麗が39年もの間、蒙古の侵略に粘り強く抗戦した宮闕の跡です。1232年高麗高宗は、江華島に都を移し、その2年後の1234年に宮闕と官衙の建物を完成させました。1270年に蒙古と和解をし開城に都を戻した後、宮闕と城廓は崩壞しました…お気に入り0閲覧数15,148クチコミ0
仁川(江華郡) · 宮殿江華徳津鎮仁川広域市江華郡仏恩面徳津里にある「鎮」であり、江華12鎮堡のひとつです。丙寅洋擾、辛未洋擾時に激戦地となったところで、現在は門楼、砲台、城郭、墩台が残っており、史跡第226号に指定されています。お気に入り0閲覧数15,125クチコミ0
忠清北道(清州市 ) · 宮殿上党山城上党山城は清州市内と近く清州市民の憩いの場となっています。上党山城という名称は三国時代、百済の上党県から由来したようです。周囲の長さが4kmを越える巨大な石垣の城です。統一新羅初期に新羅の西原小京が清州地域に設置されましたが、三国史記に金庾…お気に入り0閲覧数15,032クチコミ0
慶尚北道(慶州市 ) · 宮殿慶州 金庾信将軍の墓慶州高速ターミナル横の西川橋を渡ると、右手に金庾信将軍のお墓に行く道が現れます。この道は、春になると黄色いレンギョウや桜が満開となり、ドライブコースとして人気を集めます。この場所は、ソンファ山の峰が東に伸びた壮麗な景色を誇る松の森にあり、他…お気に入り0閲覧数14,974クチコミ0
大邱広域市(中区) · 宮殿徐相敦古宅徐相敦(ソ・サンドン/1851-1913)は、朝鮮時代末期の企業家で、官僚でもあり民族独立運動家でもありました。大邱で紙屋と反物商として成功した人物で、政府の検税官となり租税の管理の役も担いました。1907年、政府が日本からの多額の負債を抱…お気に入り0閲覧数14,835クチコミ0
済州道(済州市 ) · 宮殿済州牧官衙官衙とは昔の役所のことです。 済州牧官衙(史跡第380号)は、朝鮮時代(1392~1910)済州道の政治・行政の中心地だった役所跡です。重要施設である東軒や内衙などの建物跡も確認されており、その位置や規模もわかっています。これらは観徳亭(宝…お気に入り0閲覧数14,778クチコミ0
京畿道(水原市) · 宮殿華虹門華城には水原川が南北を横切り流れており、城がつながった部分には水門を設置し、北側には北水門、南側には南水門が作られています。この華虹門(ファホンムン)は華城の北水門として7つの虹模様の水門が設置されています。また東側の丘には華やかな建築美を…お気に入り0閲覧数14,760クチコミ0
忠清南道(扶余郡 ) · 宮殿落花岩扶余の白馬江を見下ろすように高くそびえたっている岩の絶壁が落花岩(ナックァアム)です。落花岩は百済が新羅と唐の連合軍に陥落した時、百済の三千宮女がまるで一片の葉のように白馬江の下に身を投げたという伝説で有名な場所です。落花岩は、この伝説のよ…お気に入り0閲覧数14,739クチコミ0
大邱広域市(東区) · 宮殿大邱不老洞古墳群琴湖江が流れる東区鳳舞洞一帯の野山に約200個の古墳群があります。史跡262号に指定されている不老洞の古墳は三国時代に造られたもので昔、この地域を治めていた土着支配勢力の集団墓地であると推定されています。お気に入り0閲覧数14,739クチコミ0
ソウル(鍾路区) · 宮殿昌徳宮 仁政門仁政門は仁政殿の正門で太宗5年(1405年)に創建されました。しかし、壬辰倭乱の際に消失してしまい、光海君元年(1608年)に再建されました。その後英祖20年(1744年)10月、承政院の火災により左右の行閣と一緒にまた消失、翌年3月に再建…お気に入り0閲覧数14,733クチコミ0
ソウル(城北区) · 宮殿崔淳雨家屋崔淳雨家屋は兮谷・崔淳雨(1916~1984)氏が1976年から逝去されるまで居住していた家で、登録文化財第268号に指定されています。本名は熙淳、出生地は開城。美術史学者であり、博物館専門家として、韓国の陶磁器や伝統木工芸、絵画史の分野で…お気に入り0閲覧数14,599クチコミ0
江原道(江陵市) · 宮殿烏竹軒烏竹軒(オジュッコン)は朝鮮時代の学者である栗谷・李珥(ユルコク・イイ)と関連して有名になった江陵地域の代表的な遺跡地です。烏竹軒は朝鮮時代初期の建築物で、建築史跡の面において重要性を認められて1963年に宝物第165号に指定されました。こ…お気に入り0閲覧数14,517クチコミ0