ソウル(江西区) , ソウル西部

ソウル植物園は世界12都市の植物と植物文化を紹介し、都市における自然と生態に対する向き合い方を高めるためソウルに残る最後の開発地域・麻谷(マゴク)地域に造成されました。ソウル植物園は植物園と公園があるいわば「ボタニックパーク」で、その面積はサッカー場70面分の広さに及びます。 絶滅危惧種に指定された野生植物の生息地を拡大し繁殖が難しい種の増殖研究、品種開発など植物の育成という植物研究保全機関の本来の役割はもちろんのこと、都市の庭園文化拡大の最前線基地として、そして生涯教育機関としての役割も担っています。 ソウル植物園は、開かれた森、テーマ園、湖水園、湿地園の4つのエリアに分かれ、中でもその中心となっているのが植物文化センターや野外テーマ庭園、麻谷文化館があるテーマ園です。


ソウル(鍾路区)

「皇后名家(ファンフミョンガ)」は景福宮駅近くに位置する伝統サムゲタン専門店です。韓国人だけでなく外国からの観光客にも好評を得ている伝統的な料理法でつくられる多様なサムゲタンは著名人も食べに訪れるほどで、たびたびメディアにも取り上げられています。


慶尚北道(安東市 )

慶尚北道の安東市豊川面河回里にある河回北村宅は、民泊を運営する古家です。文臣だった柳師春(リュ・サチュン)によって正祖21年(1797年)に小さなサラン(客間)と左右の翼廊が建てられたのが始まりで、それが今日に至っています。アンチェ(母屋)、クンサラン(大客間)、テムンガン(正面玄関まわりの建物)、祠堂が、慶尚道都事を務めた柳師春のひ孫にあたる柳道性(リュ・ドソン)によって哲宗13年(1862年)に建てられ、現在の姿になりました。アンチェ、サランチェ、クンサランチェ、テムンガンチェ、祠堂を備えた典型的な士大夫家の邸宅で、河回で最大の規模を誇ります。 クンサランである「北村幽居」は正面7間、側面3間の建物で、2間の部屋が2室、1間の部屋が2室、4間のテチョン(板の間)、3間のヌマル(高い板の間)、3間の厨房とその上部の同じ大きさの屋根裏部屋、5間の縁側、板5枚継ぎの縁側からなっています。部屋の間の引き戸と、部屋とテチョンの間にある扉(上方に開けて天井に固定できるもの)を開けると、建物全体が一つの空間になります。また、中サランの「和敬堂」は2間の部屋、1間のテチョン、3間の縁側、そしてテチョンの右手に欄干のある縁側があります。小サランの「須愼窩」は1間の部屋、1間のテチョン、2間の縁側からなっています。アンチェには中庭を中心にして前面に厨房と奥の間、テチョン、物入れ、サンバン(上)、縁側、サンバン(下)があり、右手にはクンサランに続く中門、左手には物置(下)、穀物倉庫、ムンガンバン(門の近くの部屋)があります。 他に祠堂などもあり、隅々まで見て回るとかなり時間がかかります。 河回北村宅に植えられている樹齢300年以上の松は、この家と歳月をともにしてきた家の一部であり、その形が河回村の周りを流れる洛東江に似ていることから興味深く眺める人も沢山います。北村宅には遺物も残っています。17世紀に作られたものと推定されている「都城八道之図」は独島と間島を韓国の領土として表記しており、歴史的にも非常に貴重な資料と評されています。他にも、駕籠や踏み臼、そして柳台佐(リュ・イジャ、号は鶴棲)に新年祝いとして国王より贈られたという歳画もあります。 北村宅は、両班(貴族)の村である河回の中でも屈指の富豪でした。財産だけでなく庶民に対する温情も並々ならぬものがあり、土地の賃料は最も安かったそうです。ある年、梅雨で川が増水して船が転覆すると、家を建てるために3年間乾燥させていた高級な松の木を投げ入れて溺れた人々を助け、それから3年後に家を建てたという話も伝わっています。


仁川(南区)

水準原点とは韓国の国土の標高を測る基準点のことで、平均海水面との差を測り、1963年陸地に設置した施設物です。 全国の水準点及び三角点の標高もこの原点を基準にしており、測地学及び地球物理学研究の基準に利用されています。 韓国では1914年から1916年にかけておよそ三年間、仁川港(インチョンハン)で発生する干満の差を測定しその平均値を平均海水面と定めました。 このような平均海水面との差を測定し陸地に設置した施設物が水準原点で、この水準原点の標高は26.6871mとなっています。水準原点は基礎となる石の上に花崗石で造られた六面体の設置台を置き、さらにその上に紫水晶で表示しており、小さな円形の煉瓦造りの建造物がこの水準原点の周りを覆い保護しています。 元々、仁川港の干満の差を測定し平均海水面を測定しそれに基づき仁川水準基点を仁川広域市中区(チュング)港洞(ハンドン)1街2番地に設置していましたが、1963年この水準基点を基に精密に測定し直し、現在の場所に大韓民国水準原点を設置、現在もこの水準原点を基準点として利用しています。 水準原点から測定し全国の国土及び主要地方道におよそ2kmおきに設置されている水準点は、各地域の標高の値を測定する基準となります。水準原点は国土の標高を測定する基準点となる重要な施設で、学術的、歴史的価値が大変高いものとなっています。


京畿道(坡州市 )

統一情報化村(通称「統一村」)は民間人統制線(民統線)の北端にある村で、板門店、第3トンネル、都羅山展望台など安保観光地をはじめ名所旧跡がいたるところに点在しており、統一の夢を抱き南北を貫く鉄道・京義線(キョンイソン)や道路の南側玄関口となっている場所です。 統一村の中にある長湍豆(チャンダンコン)マウルで食事をした後、近くの情報化村農特産物広報館2階には民統線内で唯一お茶を楽しめるカフェがあり、いわばここが韓国の最北端にある民統線カフェになっています。 また肥沃な土ときれいな自然環境が作り出す農産物・長湍人参、長湍豆(坡州市長湍面などで栽培される大豆)、長湍米などは長湍三白(チャンダンサムベク)として古の時代に王に献上された農産物で、それ以外にもオニノヤガラ、トウガラシ、ゴマ、ドングリの澱粉でゼリー状に固めたトトリムの原材料となるドングリ粉など良質の農産物が生産される場所としても有名です。 *民間人統制区域 非武装地帯の外側の南方限界線を境にし南側へ5~20kmの幅で設定した民間人統制区域で、民間人出入統制線とも呼ばれます。1953年の休戦以降、南北の軍隊の軍事分界線が引かれ、双方後方へ2kmの幅で非武装地帯(DMZ)を設定、南側はさらにその外側に民間人統制区域を定め、一般人の出入りを統制しています。


慶尚北道(安東市 )

様々な韓国式のおかずが味わえる店です。おすすめはキムチチゲです。慶尚北道のアンドン市に位置した韓食専門店です。


ソウル(西大門区) , 市庁・光化門

ソウル特別市西大門区(ソデムング)の独立門(トンニンムン)駅交差点から南にすこし歩いたところにある在来市場・霊泉市場(ヨンチョンシジャン)。 この辺りは、昔、独立門公園の裏手にある鞍山(アンサン=金華山[クマサン])に上るとヤクパッコル(またはアクパッコル)という薬水(ヤクス=湧き水)が湧き出す場所があり、この薬水を飲むと万病に効くということで「霊泉薬水(ヨンチョンヤクス)」と呼ばれたことから、この辺りの地域を霊泉というようになりました。 霊泉市場はその西大門区霊泉洞にできたことから霊泉市場と呼ばれ、60年代初めからおかずの店やおいしいと評判の食堂が軒を連ね、人々がひっきりなしにやってくる市場になりました。 最近ではその懐かしさからやってくる人も多く、第二の全盛期を迎えています。2011年には伝統市場に登録され、市場のリモデリングを実施、地域住民により親近感を与える市場として成長しています。


ソウル(城北区)

城楽園(ソンナグォン)は、元々、朝鮮王朝第25代の王・哲宗(チョルジョン=在位:1849~1863年)の時代、文官の人事などを行政機関の長・吏曹判書(イジョパンソ)を務めた沈相応(シム・サンウン)の別荘として使われ、その後、朝鮮王朝末期の王族・義親王(ウィチナン)・李堈(イ・ガン=1877~1955年)が35年間、離宮として使っていたところです。 園内の地形が織りなす水の流れる風景の違いによって、園内は前庭・中庭・外庭に分けられています。 前庭には、二つの谷の水の流れが落ち合う双流洞天(サンニュドンチョン)や、中庭の前に視界を遮るかのように造られたこじんまりとした築山で、龍の頭の形を模した龍頭仮山(ヨンドゥカサン)などがあります。 水の流れのそばにある岩にはくずし字で「雙流洞天」という文字が刻まれていますが、これは城楽園の自脈を守るという意味もあると言われています。 また、双流洞天や龍頭仮山の周囲には、樹齢200年から300年にもなるハリギリをはじめ、ケヤキ、松、クヌギ、カエデ、 サルナシ、ミズキなどが生い茂り、森をなしており、この森は中庭と城楽園の外とを分け隔てる役目を果たしています。 中庭は影碧池(ヨンビョクチ)や滝が、そして外庭には池やその池の畔にある松石(ソンソク)と刻まれた石などがあります。 園内西側の下の方には沼があり、また北側には人の手を加え水の流れを作り造園した滝もあります。 沼の西の岩に「檣氷家(チャンビンガ)」と刻まれた文字は、朝鮮時代末期の文臣で書芸家としても知られる名筆家・秋史(チュサ)金正喜(キム・ジョンヒ)先生の筆によるものです。 自然の風景に人の手が加えられ、その美しさが増す城楽園。その美しさを思う存分満喫できる城楽園は、ソウルにある数少ない別墅(別荘)庭園のひとつとして、大きな価値があるところです。


蔚山広域市(中区)

語連堂 蔚山広域市中区庁自ら建て運営する韓屋 蔚山広域市中区にある新築の韓屋で、2014年5月に完工し、同年8月より宿泊施設としてオープンした語連堂(オリョンダン)。 韓屋への関心と数多くの人々が身近にそして気軽に伝統を体験できるよう蔚山広域市中区庁(区役所)が自ら企画・建築しました。 語連堂という韓屋の名前は蔚山広域市を流れる東川(トンチョン)の昔の名前である語連川(オリョンチョン)に由来し、「美しい言葉が流れる家」という意味を持っています。 語連堂の建物は2階建てで、階段や欄干、外側の柱などはは花崗岩を用い、それゆえ頑丈で雄大な印象を人々に与えます。 語連堂のすぐそばには石橋や草花、木々が趣ある風景を織りなすサンジョンセム(山田の泉)があります。サンジョンセムはおよそ400年前に自然の水が湧きあがっていた泉で人々の飲み水として広く用いられていましたが次第に水が湧き上がらなくなり干上がってしまいました。今日にその名残を伝えるべくその泉があった場所に庭園を造成しました。庭園は語連堂の外観とあいまり大変すばらしい景観です。 松材と伝統工法の床、そして韓紙が今に伝える自然の趣 語連堂にはすべてで7つの客室があります。流し台がないおよそ26平米(8坪)の客室が3つ、そして板の間と部屋1つからなるおよそ40平米(12坪)の客室が1つあります。 大きな40平米の客室は語連斎(オリョンジェ)という名前が付けられ、家族連れの方におすすめのお部屋です。 この語連斎を除く他の6つの客室にはそれぞれ吏、戸、礼、兵、刑、工と朝鮮時代の行政機関である吏・戸・礼・兵・刑・工の六部の名称がつけられています。 各客室とも4人から6人が泊まれる大きさで、客室にはトイレ、テレビ、エアコン、冷蔵庫などが完備しています。wifiも利用可能で、全体的にシンプルで清潔感ある客室となっています。 建物の周囲には松の木や竹林が生い茂り大変風情があり、また建物のあちらこちらに掲げられている扁額が気品を醸し出しています。 韓屋の1階は井桁状に組んだ格(ごう)天井で、2階は垂木が露出した形の天井となっています。 木材はすべて松材を使い、各部屋のオンドルの床はふやかした大豆を挽きエゴマ油などを混ぜ塗った油紙をオンドル部屋の床に用いる伝統的な工法で作られています。また壁紙も韓紙を貼り、韓屋の趣と自然さを細やかに生かしています。 木々が蔽う閑静な街の中の別世界 語連堂のすぐ目の前には道路が通る街の中にありますが、韓屋を包み込むように木々が鬱蒼と茂り閑静な場所となっています。そのおかげで街の中にあるにもかかわらず、喧騒から離れた憩いのひとときを過ごすことができます。 また、道を渡って東川の流れに沿って歩くと、史蹟第320号に指定されている城郭・兵営城(ピョンヨンソン)へ向う散策路があり散策するのにもってこいの場所です。1417年に築造された兵営城は朝鮮時代に各道の陸軍を指揮する責務を担った従2品武官職であった兵馬節度使が常駐していたところで、周囲およそ1.2km、高さ役3.7mの楕円形の形をした城郭です。 また、周囲にハングル博物館であるウェソル記念館や真夏の暑さを凌げる東川水遊び場もあります。韓屋の中ではユンノリ、投矢、羽根を足で蹴るチェギチャギなど民俗遊び体験もできます。 語連堂では随時ご利用頂いた方へのアンケート調査を行い、語連堂の隅々に至るまで改善を行い、よりよい施設作りを行っています。


慶尚南道(南海郡 )

三東面、昌善面にある只族村の間を流れる只族海峡では原始漁業竹防簾が行われています。只族海峡に、V字型に竹でできた定置網である竹防簾は長さ10mほどの竹300本ほどを流れが速くて水深が浅い場所に水の流れとは逆方向になるように設置する原始漁場です。只族海峡は水が澄んでいて流れが速いためこの場所で生産される水産物は淡白で歯ごたえも良くておいしいです。水が流れる時にを見て、1日に2回、魚を引き上げる姿を見ると自然産の刺身が食べたくなるでしょう。特にカタクチイワシやワカメは只族海峡の最高の特産物です。