全羅南道(潭陽郡 ) · 宮殿潭陽 鳴玉軒 苑林全羅南道潭陽生態村後山里に位置する「鳴玉軒苑林」は朝鮮時代に呉希道(1583~1623)が暮らしていた家の庭園です。また、彼の四男である呉以井(1619~1655)が父の跡を継ぎここで書を読み多くの著述を残した別荘の地でもあります。庭園の中…お気に入り0閲覧数7,287クチコミ0
江原道(春川市) · 宮殿申壮節公墓域平山申氏の始祖である壮節公申崇謙(シン・スンギョム)将軍の墓所です。 申崇謙は918年裵玄慶、洪儒、卜智謙とともに、暴政に明け暮れる弓裔(クンイェ)を追放、王建(ワンゴン)を推戴して高麗建国に貢献した功臣です。927年大邱公山で後百済の甄萱…お気に入り0閲覧数7,286クチコミ0
全羅南道(海南郡 ) · 宮殿牛項里恐竜化石自然史遺跡地世界的な学者から認められた独特な古生物化石群である牛項里恐竜化石地は、草食・肉食恐竜、世界最大の翼竜の足跡の化石が発見された場所で、天然記念物第394号に指定されています。アジア初のアロサウルスの本物の化石を始めとする447点の展示物の他、…お気に入り0閲覧数7,266クチコミ0
世宗市 · 宮殿雲住山城古代の山城研究の貴重な資料である雲住山城は、百済時代の遺物です。全東面の美谷里、青松里と全義面の東校里、新井里の境に雲住山(459.7m)があります。 雲住山城はまさにこの雲住山を利用した山城です。城の周りは3,210m、幅2m、高さ2~8…お気に入り0閲覧数7,250クチコミ0
忠清南道(礼山郡 ) · 宮殿大興東軒「東軒」とは地方官が政務を執っていた建物を指し、生活場所であった「内衙」の東側に位置していたため東軒と呼ばれるようになりました。地方官が駐在する官庁の中心となっていた建物で、ホッチョマ(飛檐垂木のない軒)の八角屋根の木造建築物です。大興面の…お気に入り0閲覧数7,205クチコミ0
忠清南道(礼山郡 ) · 宮殿礼山 任存城礼山郡光時面と大興面、洪城郡金馬面が出合う地点に海抜483.9mの鳳首山があります。この山頂にある任存山城は、高い位置に井戸を掘って水を集めておき、攻撃のときに排水口を開けて水を噴き出させ、敵を一時的に苦境に陥れる攻撃を加える目的で造られた…お気に入り0閲覧数7,184クチコミ0
ソウル(西大門区) · 宮殿新村駅新村駅は1920年12月から業務を開始し、ソウル駅よりも5年前建てられた建物としてソウルで一番古い駅舎です。2006年7月にこの一帯に大規模のショッピングモールと一緒に新しい新村駅が建設されて営業を中断することになり、現在は文化財庁に登録文…お気に入り0閲覧数7,152クチコミ0
全羅南道(潭陽郡 ) · 宮殿息影亭息影亭(シギョンジェン)歌辞文学館の横の小さな丘にあるあずまやで、1560年頃に建てられました。潭陽を貫通する光州川の水流が見下ろせるこの場所は、「影も休んで行く亭子」という意味を持っています。小さな建物の周辺にはさるすべりの木が茂っており…お気に入り0閲覧数7,051クチコミ0
全羅南道(康津郡 ) · 宮殿康津永郞生家永郞金允植は1903年1月16日(陰暦1902年12月18日)にここで生まれました。幼い頃はチェジュンと呼ばれていましたが、ユンシク(允植)と改名をしました。「永郞」は雅号で文壇活動時代は雅号を使用していました。永郞は1950年9月29日に…お気に入り0閲覧数7,009クチコミ0
全羅南道(木浦市 ) · 宮殿露積峰(노적봉)* 李舜臣将軍の戦術とカンガンスルレの伝説が宿る場所 * 露積峰(ノチョッポン)は全羅南道(チョルラナムド)木浦市(モッポシ)儒達山(ユダルサン)にある巨石の頂をいいます。 この頂は壬辰倭乱(日本で言う「文禄・慶長の役」)の際、忠武公(チュ…お気に入り0閲覧数6,987クチコミ0
全羅南道(珍島郡 ) · 宮殿雲林山房尖察山(チョムチャルサン、485m)の麓、双渓寺の南に位置している全羅南道記念物第51号の雲林山房(ウルリムサンバン)は、朝鮮後期の有名な画家、許維(1809-1892)が1856年に学者であり書画家だった師匠の金正喜(1786-1856)…お気に入り0閲覧数6,968クチコミ0
全羅北道(益山市 ) · 宮殿笠店里古墳史跡第347号に指定されている笠店里古墳(イプジョムニゴブン)は、全羅北道益山市熊浦面笠店里チルモク峠の丘陵に位置する百済時代の古墳群です。全部で8基の墓があり、1号墳は石室墳で、これ以外は破損のひどい状態で発見されました。出土品には土器類…お気に入り0閲覧数6,943クチコミ0