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論介生家は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉死した論介を称え作られました。壬辰倭乱の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。論介…
開岩寺(ケアムサ)は、634年百済時代に創建された小さくて静かな寺です。百済滅亡後、百済の人びとが3年にわたり百済再興運動を繰り広げた場所でもあります。宝物第292号に指定されている大雄殿は建物の姿も端麗ですが、建物の後ろを守っているかのようなウルグムの岩とあわせて見ると威厳まで…
剛泉山郡立公園の入口から1.8kmの地点に位置する剛泉寺は、新羅の真聖女王元年(887年)に道詵国師により創建されました。その後、繁栄し高麗の忠粛王3年(1316年)に徳賢禅師が増築をし、五層の石塔を建て、一時は12の庵子と1,000万人もの僧侶たちがここにいたとされています。…
全羅北道井邑市山内面梅竹里望京台一帯の野山に作られた公園で、秋になると松がところどころにはえている松林全体が真っ白いチョウセンノギクで覆われます。公園には九節草散歩道を始めとして、多目的運動場、自生の野花展示場、休憩所、広場、健康遊歩道、農産物市場、ペンション、駐車場などの施設が…
「参礼文化芸術村(サムネムナイェスルチョン)」は元々、日帝強占期に穀物倉庫や官舍として収奪の道具に使われた所でしたが、今では芸術村として生まれ変わりました。 デザインミュージアム、ビジュアルメディアアート美術館、金相林木工所、本博物館と本工房で構成され、企画展示、芸術祭といったイ…
威鳳寺は、604年に瑞巖大師が創建したとされています。しかし、極楽殿重修記に出ている説話によると、新羅末期に崔龍角が馬に乗り全国の山川を見て回っていた際、鳳山の南側に至り蔓をつかみながら山の頂上まで上がると、とある森から光が差しているのが見え、その光を辿って行ってみるとそこには3…
「茂朱寒風楼」は楼閣として、昔有名だった詩人達が集まり風流をたしなんだ場所です。 1592年の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)で焼失しましたが、1599年に再び建てられました。日帝強占期から仏教を広める地として使われ、永同郡陽山の川辺に移され錦湖楼という名前に変わりました。1971年に…
蝟島(ウィド)は辺山半島の西の海上にある島で高麗時代[AD918∼1392]から官吏の流刑の地となっていた。蝟島は釣りの名所として有名ですが、その自然の美しさについてはあまり知られていません。いまだ訪れる人が少ないため自然のままの美しさが保たれています。 広々とした砂浜が自慢の蝟…
雲日岩 半日岩渓谷は、雲長山の北東側にある明徳峰と明道峰の間を流れる渓谷です。長さは約5kmで、まっすぐ切り立った絶壁に空と岩、木、雲しか見えないということから雲日岩と名づけられました。また、渓谷が奥深いところに位置していることから半日しか太陽の光が当たらないということから半日岩…
クダム村は全羅北道任実郡徳峙面の蟾津江上流地域の山麓にある小さな村です。クダム村は、以前はあまり知られていませんでしたが、神秘的で自然豊かな風景が広がっていると口コミで広がり有名になりました。村の前を流れる蟾津江と川に沿って咲いた梅の花が織り成す風景はクダム村が誇る絶景のひとつで…
任実邑から16km離れた地点にある江津橋を渡り右に曲がり5kmほど上がって行くと蟾津ダムが見えてきます。また、全州から完州郡九耳面方向に28km行くと、以前はフィッシングスポットとして有名でしたが、今は上水源保護区域に指定されているため釣りをすることはできませんが、美しい風景が広…
文殊寺は水がきれいで鬱蒼とした林があり、人的な汚染の影響を受けていない場所にあります。地方有形文化財第51号である大雄殿と52号である文殊殿があり、冥府殿や冬山殿などが残っています。大雄殿は小規模の建物ですが屋根が珍しい形をしています。