観光/文化一覧

論介生家
 
全羅北道(長水郡 )
論介生家は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の時に殉死した論介を称え作られました。壬辰倭乱の時に倭軍が晋州城を占領すると、論介の夫である崔慶会将軍は川に身を投げ殉死し、論介は夫の仇を討つために妓生と偽り倭軍の宴会の席に参加し、酔った倭軍の将軍を抱きながら川に身を投げて殉死しました。論介生家は、2棟の建物からなる「一字型」の草葺の家で、石垣で囲まれており、部屋の中には掛け軸や寝具、書籍などが置かれています。また、生家址があった地域は徳裕山、梧洞堤など周辺の景観が美しく、長安山国立公園や知止渓谷、トンファダムを繋いだ登山コースがあり、論介生家と関連した観光コースとして1年を通して多くの観光客と登山客が訪れます。

達城韓日友好館
 
大邱広域市(達城郡)
達城韓日友好館は金忠善将軍(日本名:沙也可 / 1571-1642)の博愛思想を称え、韓日両国の友好増進のために造られたもので、2012年5月3日にオープンしました。金忠善は壬辰倭乱(文禄・慶長の役)に参戦しましたが、朝鮮の文化に感動して自分の部下とともに朝鮮に帰化し、火縄銃の製作技術を伝えたり、慶州、蔚山の戦闘で大きな功を立てたりしました。 現在、達城韓日友好館には金忠善将軍の精神を称えて大勢の日本人が訪れています。展示館、3D映像館、茶道室、遺物展示、韓日両国伝統ノリ(遊び)、和歌山県資料室、伝統弓体験場など、様々な施設が無料で利用できます。

漆谷 松亭自然休養林
 
慶尚北道(漆谷郡 )
「松亭自然休養林」は岐般山(464.7メートル)の麓にあります。岐般山には岩が多くある他、マツ、ゴヨウマツ、ハナズオウなど、さまざまな樹木が自生し、美しい景観を作り出しています。 宿泊施設「森の中の家」は丸太や黄土など自然のものが使われているのが最大の特徴であり、森の中にはウサギ、ノロジカなど多くの野生動物が生息しています。また、都心に近い休養林として家族連れなど多く人々がここを訪れ、ゆったりとした時間を過ごしています。

旧ソウル大学校本館
 
ソウル(鍾路区)
若者の通り、文化の通りとして有名な大学路(テハンノ)の中心に文化芸術振興院の建物がありますが、この建物はソウル大学校本館の建物として長年使われていました。元々この建物は日帝強占期の1931年に京城帝国大学本館と建設されたものです。 1922年11月、李商在を代表とする朝鮮教育協会により朝鮮民立大学期成会を結成、1923年3月29日に発起人総会が開催されたことにより朝鮮民立大学の設立運動が本格化しました。日帝はこれを阻止すべく1923年5月京城帝国大学令を公布、翌1924年に京城帝国大学という官立大学を設立しました。 1924年にまず2年制の予科が設置され開校、その後1926年には3年制の法文学部と4年制の医学部を、1938年には理工学部を設置しました。 そして解放後の1946年8月に米軍政により国立ソウル大学校設置令が発表され、今日のソウル大学へと改組されました。 この建物は韓国人建築家朴吉龍が設計、日本人経営の建築会社・宮川組が施工を担当し、1930年8月に着工して1931年10月竣工しました。 1945年の解放以降、ソウル大学校本館として使用されましたが、1972年ソウル大学校がソウル特別市冠岳区の冠岳キャンパスに移転し、その後文化芸術振興院の建物として使われています。 この建物は長方形の形をした鉄筋コンクリート造の構造ですが、部分的に煉瓦と木材も使われています。地下1階、地上部は2階建となっている部分と3階建になっている部分があり、近代合理主義の形態を取り入れた精錬かつ優雅な外観を誇ります。 ※面積-1,628.1平方メートル ※所有者-韓国文化芸術振興院

白竜洞窟
 
江原道(平昌郡)
白竜洞窟(ペンニョンドングル)は江原道平昌郡美灘面馬河里に位置しており、全長1.8kmに達する天然石灰洞窟で、川の水面から約10~15m上の地点に入口があります。洞窟の入口周辺には素晴らしい景観を誇る奇岩絶壁があり、昔は洞窟には船でしか接近できませんでした。白竜洞窟は古くから村の住民にはよく知られており、洞窟入口付近に焚き口やオンドルの痕跡があったり、その周囲で土器などが出土したりしたことから、古代から住居として利用されていたものと推定されています。1976年には洞窟のメイン通路の中間にあった握りこぶし大の細い通路が住民によって拡張され、全区間の調査が可能になったことで白竜洞窟内部の景観や学術的価値が学者に知られるようになりました。白竜洞窟の名は、この洞窟を抱く白雲山の「白」と、発見者の名前の最後の字の「竜」とを合わせて付けられたもので、1979年に天然記念物第260号に指定されました。

開岩寺
 
全羅北道(扶安郡 )
開岩寺(ケアムサ)は、634年百済時代に創建された小さくて静かな寺です。百済滅亡後、百済の人びとが3年にわたり百済再興運動を繰り広げた場所でもあります。宝物第292号に指定されている大雄殿は建物の姿も端麗ですが、建物の後ろを守っているかのようなウルグムの岩とあわせて見ると威厳まで感じられます。

全羅南道海洋水産科学館
 
全羅南道(麗水市 )
1998年5月にオープンした全羅南道水産総合館は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際に李舜臣将軍が敵を倒した戦勝地とされるムスルモク遊園地に位置しており、自然景観がすばらしい閑麗水道などの南海岸の有名な観光地とも近接しています。規模は、敷地2,802坪、建物1,680坪で、主要施設には水族館展示室、海洋水産展示室、海洋科学展示室および種苗培養所、視聴覚室などがあります。また、3D立体映像館や海洋生物自然史館が新設されました。正門ロビーでは全羅南道を象徴する魚であるマダイの造形物か観覧客を出迎えてくれます。

順天市立プリキップンナム博物館
 
全羅南道(順天市 )
楽安邑城の近隣に位置する順天市立プリキップンナム博物館は故韓彰琪(1936~1997)が生前に集めた遺品を展示しています。青銅器時代から光復以降までの多様な遺品が展示され「純粋な韓国」文化をよく理解することが出来る博物館です。 故韓彰琪は生前に韓国の古くなった物と粗雑な物から文化を創造しようとしました。何の値打ちもなくぞんざいに扱われていた物が現在では文化的価値がある遺産になり、祖先の暮らしをうかがえる資料として再誕生しました。

俛仰亭
 
全羅南道(潭陽郡 )
全羅南道記念物第6号に指定されたあずまや「俛仰亭」は全羅南道潭陽郡、鳳山面斎月里斎峯山のふもとに位置しています。1533年に宗純(1493~1583)が建てたもので、李滉(イファン)(1501~1570)をはじめ多くの学者や文人が学問について討論した場所とも言われています。丘の上に建てられており、木造の瓦屋根で側面と左右に床が敷かれ、中央には部屋が配置されています。もとは糊や葦で屋根が作られ、雨風をやっと防ぐ程度のものでしたが、現在の姿は何度か補修されたものとなっています。俛仰亭の後ろには遠くまで続く山脈を望むことができ、丘の下に広がる広い垣がひと目で見渡せます。宋純はこの場を詩文活動の産室として造り、中には当時の有名な学者や詩人たちの詩編が刻まれたものが掛けられています。