観光/文化一覧

タンクッ海洋自然史博物館
 
全羅南道(海南郡 )
「タンクッ海洋自然史博物館(タンクッヘヤンジャヨンサバンムルグァン)」は、世界の貝類、珊瑚類、魚類、哺乳類、甲殻類、化石類、爬虫類、陸地昆虫に至るまで約25,000種類・4万点を展示している、名実共に全羅南道一の種類を誇る自然史博物館です。自然生態系の神秘を体験できる他、子どもたちには観察力と想像力を伸ばし、海生態系の驚異を感じ、珍しい海洋資源文化に接することができる大切な機会を提供しています。

麟蹄スピーディウム
 
江原道(麟蹄郡)
麟蹄スピーディウムは、スピーディなレースが楽しめる空間です。世界的な選手に直接会う機会のあるモータースポーツテーマパークで、韓国のモータースポーツの大衆化を目的に建設されました。 国際レースをはじめ、モータースポーツ文化が楽しめるよう、宿泊施設などの各種設備が完備されており、自動車ファンにはたまらない総合テーマパークとなっています。

馬良港
 
全羅南道(康津郡 )
韓国の西南部の海岸の最南端にある馬良港は日の出の名所として知られています。馬良港は昔から西海で運航している船舶にとっては重要な漁業場所でした。馬良港一帯で生産される海苔は味が良く漁民達にとって重要な生活収入手段であり、朝鮮時代には王に献上した品物であもありました。また、秋にはここでコノシロ祭りが行われます。

青陽タラッコルチュルムドム聖地
 
忠清南道(青陽郡 )
忠清南道青陽郡、樓谷に位置するチュルムドム(列墓)聖地は天主教信者の無名殉教者たちの墓です。また、この村は京畿道果川で殉教した崔京換聖人と韓国2番目の司祭である崔良業神父の誕生地でもあります。1つの場所に複数の人を埋葬しているためチュルムドム(列墓)といいます。殉教者の数と姓名、殉教経緯などは分かりませんが家族単位で埋葬され、名前の分からない殉教者たちの墓37基がここ樓谷で墓の列をつくっていて、1982年に青陽聖堂によって清められた墓地に無名の殉教者たちのための墓碑を立て史跡地として造ってから天主教信者をはじめ多くの人が訪れています。ここチュルムドムの殉教者、聖崔京換フランシスコの遺骨の一部を1986年に切頭山 殉敎紀念館に移して祀っており現在、墓の数は総36基です。

涵碧楼
 
慶尚南道(陜川郡 )
陜川八景のうち第五景である涵碧楼は高麗忠粛王8年(1321年)に陜州支軍金某(キム・モ)が創建し、数回にわたって修造されました。吹笛峰のふもとにあり、黄川と正陽湖を眺めることのできる美しい風景で多くの文人墨客が風流を楽しんだ場所で、退渓李滉(イ・ファン)、南冥曺植(チョ・シク)、尤庵宋時烈(ソン・シヨル)などの文字刻まれた扁額が楼閣内部のかけられています。岩壁に刻まれた「涵碧楼」の文字は宋時烈によるものです。

三釜淵瀑布
 
江原道(鉄原郡)
江原道鉄原郡(チョロングン)葛末邑(カルマルウプ)にある「三釜淵(サムプヨン)瀑布」は高さ20mを誇る滝です。1年を通じて水が枯れることがなく周辺には特異な形をした岩が自然景観とあいまり神秘さを与えています。特に滝の水が流れ落ちる所が3ヵ所ありますがその様子がまさにご飯を食べる時に昔、使った釜の形に似ていることが特徴で、三釜淵の名称もそこから由来しています。 この滝には昔、龍が空へ昇ったという伝説があり、近くには「龍華洞」という地名のところもあります。周辺に食堂や売店など便宜施設がないため環境はきれいなまま保たれています。 また1km圏内のところには、その昔キツネを弓矢で射て仕留めたある父親が息子の結婚相手に迎えようとした嫁が実はキツネだったという伝説が残る「ヨウコル(キツネ谷)」村という所があり、合わせて観光することをおすすめします。 三釜淵瀑布へのアクセスは、ソウルから新鉄原へ向う直行バスを利用、新鉄原里で下車、鉄原郡庁を通ってかなり歩かねばならないため、バス下車後はタクシーの利用が便利です。(タクシーで約10~15分程度) 問合せ: 鉄原郡庁 +82-33-450-5365

全義郷校
 
世宗市
全義郷校は、1413年(太宗13年)に創建されたと推測されています。 1649年(仁祖27年)に打愚 李翔がつけた『全義鄕校明倫堂序』によると、全義郷校は当初は県の東側に建立され、朝鮮後期の仁祖の時まではこの地にあったとされています。当時の郷校地として推測されている現在の東校里の校洞地域では約10年前までも多くの瓦が出土されました。 全義郷校は、明倫堂と大成殿を造り建築の前にそれぞれ三門を置いた簡単な配置です。村のサイッキル(細道)を過ぎ、外三門に入ると明倫堂があり、この周囲路は塀に囲まれていて、明倫堂の後方には一段高く敷地が形成され、塀に囲まれた大成殿にあります。明倫堂の西側の塀の他には守直舍があります。 『全城誌』によると、朝鮮末期から大韓帝国までの郷校の構成人員は、西教生30名、校奴7名、良保10名、私保60名が配属されていたと記録されていて、昔の全義郷校の人的構成が分かります。 また全義郷校は『斎任録』(24㎝×34㎝)、『仙案』(28㎝×43㎝)をはじめとして、さまざまな笏記に、1782年(正祖6年)と1783年に頒布された『御製綸音』(22㎝×35㎝、1782~3年)4本が伝えられています。

宝石寺
 
忠清南道(錦山郡 )
錦山邑から約6kmほど離れた進楽山(732m)南東側の麓にある宝石寺は、866年(新羅時代BC 57~AD 935)に祖丘大師が創建した歴史あるお寺です。教宗(仏教で禅宗以外の宗派の総称)の総本山で韓国仏教31本山のひとつとして全羅北道の仏教の寺中樞機官であり、現在は忠清南道の教区傘下となりました。宝石寺という名前は、寺院の前にある山の中腹の岩石から金を掘り出し、仏像を鋳造したことから由来しています。寺院に入ると、鬱蒼とした森や岩石が透き通った小川の水と調和して、俗世を離れたような気分になります。寺院には大雄殿、騎虚堂、毅禅閣、山神閣などの建物と附属庵子があり、近隣には絶景の12瀑布(滝)があります。特に高さ40m、円周10.4mになる樹齢1100年を誇る銀杏の木(天然記念物第365号)があります。また200~300mほどのモミの木の道があり、ひっそりとした雰囲気の中散歩を楽しめます。