観光/文化一覧

利川セラピア
 
京畿道(利川市)
利川世界陶磁(イチョン・セゲドジャ)センターは山と湖が調和する雪峰(ソルボン)公園にあり、4つの大型展示室の他、陶磁芸術発展のための様々な付帯施設を備えています。招待展、公募展などを通して世界の陶芸界の流れをリードする作家の作品を紹介し、陶芸界に未来の方向を提示する新進作家の発掘事業を活発に推進しています。

楊平野花樹木園
 
京畿道(楊平郡)
ハーブ庭園には約50種のハーブがあり、水生湿地では湿地の生態を体験できます。その他にも樹木園の中央にある島や川辺の情緒を楽しめる散策路、熱帯植物のエキゾチックな雰囲気がある熱帯植物園、子どもたちが植物について学べる研究所などがあります。野花の鉢植え、ハーブ石けん、押し花のしおりなどが販売されており、各種の体験も楽しめます。

百潭寺
 
江原道(麟蹄郡)
百潭寺(ぺクタムサ)は、内雪岳にある代表的なお寺で、百潭渓谷の上方部に位置しており内雪岳を探訪する人々の目印にもなっています。新羅第28代真徳女王(在位647-654)の時代に慈蔵(590-658)によって建てられました。当初は寒渓寺と呼ばれていましたがその後、大青峰からお寺までの間に水たまりが100個あるということから百潭寺と名づけられました。数十回もの消失を繰り返してきましたが、1957年に再建され現在の姿に至っています。百潭寺は詩人であり独立運動家だった萬海・韓龍雲(1879-1944)が修行を積んだ場所としても有名です。また、全斗煥大統領夫婦はここで幽閉生活を送りながら懺悔をしたと言われています。百潭寺の前の渓谷の一角にある石の塔は、百潭寺を訪れた人々が願い事を込めて石を積んで行ったものです。

木浦カッパウィ
 
全羅南道(木浦市 )
カッパウィは、まるで2人の僧がカッ(笠)を被っているように見えることからカッパウィ(笠岩)と呼ばれています。 カッパウィには複数の伝説がありますが、まず1つ目の説は、悟りの境地に至った僧が栄山江を渡り羅仏島にあるタッ島へ行こうとする途中、休憩した所に被っていた笠と持っていた杖を置いたものが岩となったとする説があります。また、月出山で修行をしていた僧が弟子の僧を連れて木浦に必要な物を調達しに栄山江を渡ろうとしたところ、弟子の僧がはぐれてしまい川を渡りきれず石となって固まってしまったという伝説があります。 また別の説には、木浦で病を患った父親の面倒を見ていた若者が、父親の薬代を稼ぐために家を出たところ、その間に父親が死んでしまい、その若者は自分の親不孝さを謝罪するために食事も取らず笠を被り謝罪し続けていたところ、石になってしまったという説もあります。

外高山甕器村
 
蔚山広域市(蔚州郡)
外高山甕器村(ウェゴサン・オンギマウル)は韓国最大の伝統民俗甕器村といわれるところで、昔ながらの甕器(オンギ)づくりを見ることができます。それぞれの家で甕器を焼いている風景は平和でゆったりとしており、昔の村を見ているかのようです。新羅土器を再現するところもあり、学生の教育場として積極的に推奨されています。   外高山甕器村は国道14号線沿いに位置し、東海南部線に接しているため交通の便がよく、現在、全農家の56%である71軒ほどが甕器業に携わっています。1957年からここで甕器が焼かれ始め、現在は年間生産量が2億ほどに達し、夏のオフシーズン以外は販売量は増加していっています。1970年代から伝統甕器工場が増え始め、現在は9つの生産業者が盛業中です。温陽甕器会館の専門講師に手伝ってもらいながら、自分で甕器をつくってみることもできます。   窯を低温から徐々に高温にしてゆく伝統製造技法を使い、完成まで8日~10日ほどかかります。この頃は改良窯である登り窯や、セトゥル窯(コンテナー窯)と呼ばれる窯を使い、燃料も薪やC重油、ガスなどを混ぜて使用します。こうして焼かれた甕器は器自体が風通しがよく、中身が変質しないため、米櫃として使うと虫がわきません。

道洞港
 
慶尚北道(鬱陵郡)
慶尚北道 鬱陵郡 鬱陵邑にある道洞港は、鬱陵島に出入りする船の船舶場で、浦項と墨湖の間を運航する旅客船と独島に行く船に乗れます。道洞港の左側には「望鄕峯」という峰があり、右側には樹齢2500年の香木がある「杏南灯台」があります。 江原道の墨湖ターミナルから161km、慶尚北道 浦項ターミナルから217kmの位置にあり、最速2時間20分で平均3時間ほどで到着します。また東南方向87.4kmには独島があり、往復平均3時間ほどで到着します。1日1~2回程度運航される旅客船は、風や波、気象条件により時間や運航が調整されるため、出発前には問合せをして予約するのがいいでしょう。外国語での対応は無いので、ガイドや韓国語ができる人と同行する必要があります。 問合せ) +82-54-791-0801(韓国語)

東山青蘿の丘
 
大邱広域市(中区)
「青蘿の丘(チョンナオンドク)」は20世紀初めキリスト教宣教師が居住し、ツタをたくさん植えたことに由来しており、達城土城が大邱の中心だったとき、東側にあったことから東山(トンサン)とも呼ばれています。美しい庭園ともいえるここには、チャムネス住宅、スウィッツァー住宅、ブレア住宅 など昔の宣教師が生活した住宅や90階段、大邱3.1万歳運動キル、大邱初の西洋リンゴの木、韓国初の歌曲である「思友」歌碑、宣教師とその家族の墓地である恩恵の庭園(Garden of Mercy)などがあります。また青蘿の丘は路地ツアー2コースの出発地であり、ドラマの撮影場所としても愛されています。

南楊州洪陵と裕陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(南楊州市)
洪裕陵は洪陵と裕陵を合わせた言葉です。丘を間にはさみ、同じ圏域にあります。洪陵洪陵は朝鮮第26代の高宗(1852-1919、在位1863-1907)皇帝と明成皇后(1851-1895) 閔氏の陵です。元々洪陵は明成皇后の陵としてソウル・清涼里にありましたが、高宗の死後は今の場所に移して一緒に祀られています高宗は興宣大院君・李昰應の2番目の息子で、12歳の若さで王位につきました。高宗は1897年、大韓帝国の樹立を宣布し皇帝の位につきましたが、日本の圧力が増す中、乙巳条約を結んで外交権を日本に奪われ、1919年徳寿宮にて67歳で崩御しました。明成皇后は驪城府院君・閔致禄の娘で、1866年(高宗3年)に王妃となりました。1873年、高宗の親政(王が直接国の政治を手がけること)をきっかけに政治的実権を掌握後、親露政策に不満を抱く日本人刺客に殺害されました。裕陵裕陵は朝鮮最後の王陵であり、最初の皇帝陵です。朝鮮第27代純宗(1874-1926, 在位期間 1907-1910)と、その妃である純明孝皇后(1872-1904)閔氏、継妃・純貞孝皇后(1894-1966)尹氏を合葬した唯一の「同封三室」の陵です。純宗は高宗と明成皇后の2番目の息子で、朝鮮最後の王です。民族主権を守護しようとした悲劇的な歴史の王でした。純明孝皇后は純宗が即位する前、皇太子として始めてオリニ大公園付近の龍馬山の麓に安葬されましたが純宗の死後、陵を移して合葬されました。純貞孝皇后は12歳の純宗の后となり、1910年、日本帝国が国権を奪おうとした際、玉璽(国家文書に使われた玉で作った王の印鑑)をスカートの中に隠したというエピソードの人物です。その後、国権は奪われ、大韓帝国は滅びてしまいます。死ぬ瞬間まで温和な性質と気品を忘れなかった純貞孝皇后は大韓帝国の最後の皇后です。洪陵と裕陵は従来の朝鮮王陵と異なる点があります。それは朝鮮の国名を大韓帝国にかえた際、王を「皇帝」と称したほど、皇帝陵の様式に従い明・太祖の孝陵を見習って作ったことです。洪裕陵には他の王陵では見られなかったキリンやゾウ、ライオン、獅子、ヘテなど多様な動物形態の石物があります。洪陵の石物は伝統的な方法で作られており、裕陵の石物は洪陵のそれよりも事実的かつ優れた手法が見られます。

東灘湖水公園(동탄호수공원)
 
京畿道(華城市)
東灘(トンタン)湖水公園は、古汗に広々とした芝生や大規模なピクニック場、フィトンチッドの森などがある都会の中のウェルビーイング空間です。 コンテナブリッジに沿って散策路があり、多種多彩なベンチから快適に水辺の風景をお楽しみいただけます。 運動施設、水遊び施設、駐輪場なども完備しており、多彩なアクティビティが可能で、特に華麗な大型噴水公園で行われるルナショーは湖水公園の人気プログラムとなっています。 <出典:華城市文化観光>