観光/文化一覧

[済州オルレ16コース]高内光令オルレ
 
済州道(済州市 )
高内浦口を出発し、海岸に沿って旧厳里(クオムニ)まで続きます。一部の海岸道は細い散歩道で、一部は海沿いの道、一部は海岸道路に沿って行きます。広い塩ビルレ(平たくて広い岩を称する済州語)が広がる旧厳浦口(クオムポグ)を過ぎると、道は内陸へと向かいます。やや高くそびえ立っている水山峰(スサンボン)に向かって、村と畑の道を通り過ぎて行き、水山峰(スサンボン)のふもとを回ると、大きな黒松がある水山(スサン)の広い貯水池に出ます。貯水池の堤防を歩いて村を通り抜けると、背の高い木々が並ぶ昔の土城、ハンパドゥリに辿りつきます。城を通り抜けると、美しい森の道や渓谷の道が迎えてくれ、森を抜けるとゴールの光令(クァンリョン)です。

新慶州駅
 
慶尚北道(慶州市 )
慶州に作られた新慶州駅は2007年8月に着工し、2010年10月28日に駅舎竣工式を終え、2010年11月1日から営業を開始しました。

京畿道立ムルヒャンギ樹木園
 
京畿道(烏山市 )
烏山市にある「京畿道立ムルヒャンギ樹木園」は10万坪規模の樹木園で、16のテーマ公園と各種付帯施設、1,600種あまりの植物があります。家族、友達、恋人と一緒に気軽に散策するのにぴったりなムルヒャンギ樹木園は、ゆっくり見て回るのに2時間程所要します。駐車場からすぐ見えるトピアリー園や迷路園は、子どもたちに特に人気のテーマ公園です。この他にも松園、紅葉園、万景園、盆栽園、郷土芸術樹木園、湿地生態園、好湿性植物園、機能性植物園、ムグンファ園、昆虫生態園など全16のテーマ公園があります。ゆっくりテーマ公園を見て回りながら道を上っていくと、木で建てられた展望台が見えてきます。都心部にある樹木園であることから、展望台からはアパートや車が走る様子が遠くに見えます。目の前に広がる木々や花々と都会の風景という相反する風景が同時に楽しめるのもムルヒャンギ樹木園のまたひとつの楽しみのひとつです。※樹木園内には食堂やゴミ箱が設置されていません。環境のためにゴミは各自が持ち帰ることになっています。また、食堂はありませんが「森の中の休憩場」では持参したお弁当を食べることができます。

[済州オルレ15コース]翰林高内オルレ[제주올레 15코스] 한림고내 올레
 
済州道(済州市 )
15コースは翰林港の飛揚島(ビヤンド)島航船船着場を出発し、ピョンス浦口、農産物集荷場、ヘリン教会、納邑小学校、天然の森と呼ばれる金山公園入口、百日紅道(ペギルホンギル)入口、高内峰(コネボン)入口、高内峰 下の下加里の分かれ道を過ぎ、高内浦口(コネポグ)に至る19kmのコースです。海沿いの道や、田舎道、山道が調和し、済州の様々な魅力を感じることができます。また、距離が比較的長く、高くは無いが坂道があり、林の中も通ります。

彰義門(紫霞門)
 
ソウル(鍾路区)
彰義門(チャンイムン)は城郭の北小門で、「紫霞門(チャハムン)」という愛称でも呼ばれています。北大門である粛靖門(スッチョンムン)は常に閉鎖されており、その果たすべき役割を果たせていなかったため、この彰義門が代わりにその役割を果たしていました。そのため、人々は彰義門のことを北門と呼んでいました。城の北側の郊外へ出たり、門近くの洗剣亭や北漢山へ行く場合にはこの門が関門となるため、利用量は少なくありませんでした。昔、彰義門の近くには紫色の霞が多くかかっていたため、彰義門の外は「紫霞の外」とも呼ばれていました。彰義門は4つの小門のうち、その原形を唯一、現在まで残している門です。彰義門は、軒の下に木で作られた木製の鶏「木鶏(モッケ)」が掛けられているところが特徴的です。この鶏の由来は、風水の考えにあります。門の外の地勢がムカデと似た相で、その地勢を抑えるためには、ムカデと相克の関係である鶏を置かなければならないという言われから、木鶏が掛けられています。彰義門に関する歴史で、仁祖反正(インジョパンジョン)という事件を語らずにはいられないでしょう。仁祖反正とは、朝鮮時代の1623年、李貴(イ・ギ)ら西人勢力が第15代王の光海君や集権党の李爾瞻(イ・イチョム)などの大北派を追い出し、綾陽君(ヌンヤングン)を王に就かせた反乱です。1623年3月12日、李貴、金濡(キム・ユ)、金自点(キム・ジャジョム)、李适(イ・グァル)らは反正計画を遂行する過程で計画の一部漏れはしましたが、予定通りに実行に移し、反乱軍は彰義門に向かって進軍し、宮殿の占領に成功しました。これに驚いた光王君王は、宮殿の後門から逃げ、医官である安国臣(アン・グクシン)の家に隠れていましたが、後に島流しとなりました。そして、綾陽君が王となるのですが、綾陽君とは第16代王の仁祖(インジョ)のことです。時は流れ、第21代王の英祖(ヨンジョ)はこの事件を記念し、彰義門の城門と門楼を改築し、反乱功臣たちの名前を板に刻み掛けました。彰義門の門楼に掛けられた板は、今なお門楼に掛けられています。

海軍士官学校博物館
 
慶尚南道(昌原市 )
海軍士官学校は、1946年1月17日に創設されて以来、李舜臣将軍に関する文献資料を収集してきました。これらの文献資料を展示するために図書館内に文献展示室を臨時に設け運営していました。その後、開校30周年を記念する1976年1月17日を迎えるにあたり、海軍士官学校博物館が創設されましたが、当時は李舜臣将軍に関する文献展示室を拡張したに過ぎませんでした。創設当時の海軍士官学校博物館は、図書館の一部を借りて運営されていましたが、1981年2月23日に独立した博物館の建物を現在の位置に新築しました。そして1990年4月28日には博物館を増築し、現在の形となりました。

西三陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(高陽市)
*西三陵(史跡 第200号 指定)西三陵(ソサムヌン)は京畿道高陽市徳陽区にあり、禧陵、孝陵、睿陵の3つの陵から構成されています。禧陵は朝鮮第11代王・中宗の継妃、章敬王后のお墓です。稜の形式は欄干石(陵の周囲を欄干のように囲んだ石で、欄干の柱ごとに蓮の模様が彫られている)のみをおいた単陵です。孝陵は朝鮮12代目王・仁宗とその妃、仁聖王后朴氏のお墓です。孝陵は王陵と王妃の陵を欄干でつなげた双陵形式で、陵は屛風石(陵を保護するために陵の上の周りに屏風のように立てた長方形の平たく大きい石)で囲まれており、両隅に雲、前面に 十二支神像が刻まれています。睿陵は朝鮮25代目王・哲宗とその妃、哲仁王后のお墓です。2つの陵を並べ、欄干でつないだ双陵形式を施しています。

鰲山里先史遺跡博物館
 
江原道(襄陽郡)
鰲山里(オサンリ)先史遺跡は江原道襄陽郡巽陽面鰲山里にある遺跡で、韓半島(朝鮮半島)で最も早い時期の新石器時代遺跡のひとつです。遺跡は東海岸から内陸方向へ約200メートル離れた「双湖」と呼ばれる湖畔の砂丘上にあります。1977年農耕地として使うために砂丘を掘って湖を埋め立てていた時に発見されました。1981年から6回にわたって発掘作業が行われ、14基の円形住居跡や大量の石器・土器などが出土しました。また出土遺物の放射性炭素年代測定をもとに分析した結果、B.C.6000年ごろの遺跡と確認され、韓国の新石器遺跡のうち最も古い遺跡として韓国新石器文化の起源解明および東アジアの文化的関係を把握するための重要な遺跡との評価を受け、史跡394号に指定されました。 「鰲山里先史遺跡博物館」の内部展示室では実物大の先史遺跡ジオラマ模型を活用し、先史人の暮らしが再現されている他、嶺東エリアの先史文化遺物が展示されています。遺跡展示室は導入部、開館、鰲山里先史物語、鰲山里発掘遺物物語、南大川物語、まとめの6つに分けて観覧できるようになっており、まとめ部分では土器の欠片合わせ体験を通じて先史時代文化を体験できるようになっています。

韓国美術館
 
京畿道(竜仁市)
韓国美術館は1983年3月に嘉会洞に設立されて以来現在の位置に移るまで、韓国現代美術に大きな関心を持ちつつ、現代美術の発展と大衆のための美術文化の普及に力を注いできました。現代美術を中心とした特別展や常設展示があり、会員のための美術理論および実技講義なども行っています。

安民峠
 
慶尚南道(昌原市 )
4月になると慶尚南道の南海岸地域一帯は桜色に染まります。その中でも鎮海の桜は格別に美しく、3月末から4月にかけて桜祭りが開催されます。桜が満開になる3月末から10日間、海軍都市の鎮海では軍港祭が開催され、全国各地から大勢の人々が訪れます。 安民峠はそれでも比較的に混雑が少ない桜の名所です。この道は鎮海区太白洞から昌原市安民洞へ続く約9kmの峠道で、中でも鎮海区側の約6kmの区間が幻想的な桜のトンネルをなしています。 安眠峠の道はドライブコースとしても良いですが、この峠道の趣を思い切り味わうには歩いてみることをおすすめします。道路沿いには、ドラマ『ロマンス』にも登場したデッキロードがあります。また、峠道のあちこちに鎮海の海を座って眺めることができるようにベンチと休息空間が用意されています。安民道路に沿い渓谷を登っていくと安民峠(303m)に到着します。 軍港祭期間中には、ここ安民峠にも多くの人々が訪れます。しかし、軍港祭の期間でなくても安民峠は一度は訪れる価値があります。桜の咲く時期に訪れると安眠峠の趣をより感じることができますが、そうでなくても暖かい春の日差しを受けながら春の香りでいっぱいの散策を楽しむことができるでしょう。