観光/文化一覧

光陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(南楊州市)
京畿道南楊州市榛接邑富平里にある光陵(クァンヌン)は朝鮮第7代世祖(1417-1468、在位期間:1455-1468)とその妃、 貞喜王后(1418-1483)尹氏の陵です。 光陵は王と王妃をそれぞれ別に奉安しました。左の封墳が世祖の陵で、右の封墳が貞喜王后の陵です。二つの稜の中間地点に一つの丁字閣を立てる形式で造られました。世祖は世宗と昭憲王后の間に生まれました。文宗が死に幼い甥の端宗が王位につくと1453年、癸酉靖難(政権を奪い取る目的で反対派を厳しく取り締まった事件)を起こし朝鮮7代王に即位しました。光陵周囲にはさまざまな生物の自生する森が形成されており、山林庁の研究機関が管理を行い、樹木園を造成しました。光陵は天然記念物第11号に指定されているキタタキの生息地として有名です。また、稜の周辺の森はチョウセンマツやモミ、マツ等の老木が広がり、ドライブコースとしても知られています。

剛泉山郡立公園
 
全羅北道(淳昌郡 )
剛泉山は1981年1月7日に全国で最初に郡立公園に指定されました。淳昌邑から10kmほどの距離にある高さ583.7mの剛泉山は、湖南の小金剛とも呼ばれるほど至る所に珍しい形の峰がそびえ立っており、大小の岩の間に滝ができており、渓谷と渓谷を覆うように青々とした森が広がっています。また、剛泉寺や剛泉山五重石塔、三印台などの文化遺跡も至るところに散在しています。 古寺の剛泉寺と三印台の間を通り、興化亭の横の道を歩いて行ったところに高さ50m、長さ75mの釣り橋が架かっているのが見えてきます。橋を渡り展望台に上がると秀麗な剛泉山の景色を一望することができます。流れる水の音や小鳥のさえずりを聞きながら3~4分ほど歩いて行き右に曲がると、8合目付近の高さ300mの地点に大きな貯水池があります。再び渓谷に沿って山を登っていくと400mの頂上に至ります。この渓谷に沿って植えられている紅葉の木は品種改良されたものではない天然の紅葉の木で葉が小さく色も美しく、また霜にも強く紅葉期間も長いため、冬に渓谷に沿って色づく紅葉はまさに壮観です。

ヨンヌニオルム
 
済州道(済州市 )
ヨンヌニオルム(龍眼岳)は、海抜247.8mの寄生火山で、様々な種類の火口や溶岩の丘が点在する複合型の火山です。オルムの斜面は芝生と草畑で成り、美しく典型的な済州オルムです。ふもとの丘にはウマノアシガタやオキナグサ、ニシキコウジュなどが自生しています。ヨンヌニオルムは龍が横になっている姿に似ていることから付けられました。山の真ん中が大きくくぼんでいるのが龍の寝床に似ています。また、上から見ると火口が龍の目のようだということから付けられたという説もあります。

蔚山文化芸術会館
 
蔚山広域市(南区)
蔚山文化芸術会館は蔚山広域市の代表的なホールで、様々なジャンルの公演が行える多目的ホールとして設計され、大劇場、小劇場、野外劇場、展示場の施設があります。また、便宜施設にはレストラン、プレイルームがあります。1995年10月5日オープン。

メイズランド
 
済州道(済州市 )
メイズランドは世界最長の長さを誇る石造りの迷路がある総合テーマパーク。韓国が誇る美しい島「済州島」の三多(石、風、女)をテーマにした長さ5.3kmの迷路、迷路の起源や説話、14世紀から現在に至るまでの迷路関連の異物やパズルを実際に体験し観覧することができる迷路博物館があります。 迷路は、石と木からできていますが、済州島の石は遠赤外線の放射量が多く、女・風の迷路に植えられている木はフィトンチッドの放出量が多いため、単純に迷路を歩くだけではなく、健康にも良い影響が期待されます。40年間に渡って手入れが行われてきたメイズランドの敷地には、40年の間に成長した様々な樹木が敷地全体を囲むように生えており、森林浴も楽しむことができます。

松湫遊園地
 
京畿道(楊州市)
松楸遊園地は高陽市と議政府市にまたがる国道39号沿いに位置しているため交通が便利で、首都圏住民たちが多く利用している公園です。プールや釣り場などの施設だけでなく敷地内の渓谷では綺麗な水が流れています。また近くの農園では季節に合わせいちご、梨、桃、ぶどうなどが収穫できます。国立公園松楸地域は雄大な自然と三段瀑布の景観が秀麗な場所だと言われています。

済州ハンパドゥリ抗蒙遺跡
 
済州道(済州市 )
モンゴルの侵入時祖国を守ろうと決起した三別抄(高麗の高宗時代に崔瑀が創始した夜別抄の左右部隊(左別抄・右別抄)および神義軍の総称)が最後まで抗戦したところで、展示館と記念碑、土城が残っています。また周辺にはキム・トンジョン将軍が飛び降りた足跡から湧き出てきた水と言われている「長寿水」がありますが、現在飲用水として飲むことは出来ません。三別抄は高麗軍の精鋭部隊として高麗元宗11年(1270)2月、高麗朝廷がモンゴル軍と講和を結ぶとすぐにこれに反対し、最後まで反蒙抗争を継続しましたが、全羅道珍島で敗れるとすぐにここ済州島に渡ってきてハンパドゥ城を築いてモンゴル軍と2年余り抗争を続けます。しかし元宗14年(1273)4月、モンゴル勢力により敗北。三別抄独自の武力は外勢の侵略から祖国を守護しようとする護国忠実な気持ちの現れとして今日の韓国国民に多くの教訓を与えています。

道岬寺
 
全羅南道(霊岩郡 )
全羅南道霊岩郡の山なみが美しく風景がすばらしいため、昔から「湖南の小金剛」と呼ばれる月出山のすそにある道岬寺(トガプサ、海抜376mに位置)は、1984年に全羅南道の文化財資料第79号として指定された由緒正しい古寺です。 新羅末期に道詵国師により創建されたこの寺には、国宝第50号に指定された道岬寺の解脱門があり、解脱門は現存している韓国の建築物の中でも、珍しい古い建物です。この他に、国宝第144号である磨崖如來坐像と宝物第89号石造如來坐像、宝物第1134号 木造文殊•普賢童子像、道詵守眉碑(全羅南道遺物文化財第38号)、大雄宝殿など、多くの文化財を所蔵しています。 道岬寺に向かう道の街路樹は、桜が1km以上続いており、桜が満開になる春になるととても美しい花のトンネルになります。周辺は月出山国立公園と王仁博士遺蹟地、霊岩陶陶器博物館、鳩林マウルなど多くの名所があります。

居昌捜勝台
 
慶尚南道(居昌郡 )
慶尚南道居昌郡渭川面黄山里黄山集落の前の亀淵洞に位置する捜勝台は、三国時代には新羅と百済の国境地帯であり、朝鮮時代には安義県に属していましたが、日帝強占期に行政区域の改編により居昌郡に編入されて今日に至ります。捜勝台は三国時代の百済と新羅が対立していた頃、百済から新羅に行く使臣を送別した所であり、初めは戻って来られないのではないかと心配していたので、心配するという意味の「愁」、送るという意味の「送」の字を使って愁送台(スソンデ)と言いました。愁送台とは俗世間の気掛かりや心配を忘れるほどに景色が素晴らしい所という意味であり、仏教の名前に比喩されることもあります。その後、朝鮮中宗の時に楽水慎権が隠居して亀淵書堂をここに建立し、弟子たちを養成しました。台の形が亀のようであることから岩亀台といい、境内を亀淵洞といいました。今の名前は1543年に退渓李滉が安義県三洞を遊覧のために来た際に始まったものとされています。退渓李滉は馬利面迎勝里(マリミョン ヨンスンニ)に停まってその名の由来を聞きましたが、急務により帰還してここへ来ることはできず、名前が美しくないとして同じ音である「捜勝台」と直すことを勧める律詩を送り、楽水慎権が台の面に彫ったことから始まりました。境内には亀淵書院、祠宇、内三門、観水楼、典祠庁、楽水亭、涵養斉、旌閭、山高水長碑、遺跡碑、岩亀台などがあり、これらは儒林と居昌慎氏楽水一族が共同管理しています。松林と水と岩が調和して景色が素晴らしく、またチャゴ岩とその周辺には皐蘭草をはじめとする貴重植物が自生しています。