観光/文化一覧

谷城檀君殿
 
全羅南道(谷城郡 )
韓国の始祖として知られる檀君は、天帝である桓因の孫で、桓雄の息子です。桓雄は、人間になりたいと哀願するクマとトラにニンニクとヨモギを与え、「100日日光を避ければ人間になれる」と言ったといいます。トラは耐えられず人間になれませんでしたが、クマは100日耐え、人間の女性となりました。こうして女性となったクマと桓雄のあいだに産まれたのが壇君王倹だという神話があります。 「谷城檀君殿(コクソンタングンジョン)」は韓国の始祖・檀君王倹の遺影を奉安した祠堂で、3・1運動当時、谷城で万歳運動を主導した白堂・申泰允が後学の民族意識を鼓吹するために建立したものです。日帝統治下にあっても開天節に国民がここに集まって祭祀を執り行ない、国の独立を祈ったといいます。 境内には3・1運動記念碑や白堂記念館もあります。また、毎年10月3日開天節と3月15日御天節には祭祀が行われています。

万聖里黒砂海岸(万聖里海水浴場)(만성리 검은모래해변
 
全羅南道(麗水市 )
万聖里(マンソンニ)黒砂海岸(万聖里海水浴場)は、麗水駅から海岸道路を北に3kmほど行ったところにあるため、交通の便が便利です。長さ540m、幅25mほどの砂浜と平均水温が25℃とあたたかく、海水浴には最適な場所です。特に、ここの砂浜に広がる黒い砂は、遠赤外線の放射熱が毛細血管を広げ血液の循環を助け汗の分泌を促してくれるといいます。そのため、神経痛や各種婦人病に効果があると言われています。効能がピークに達する毎年旧暦4月20日(新暦5月下旬~6月上旬)には、黒い砂チムジルハンマダンが開かれます。海岸の周辺には各種便宜施設がよく備えられています。

守御将台
 
京畿道(広州郡)
山城西側の守御将台は、南漢山城4奨台の1つで、仁祖2~4年(1624∼1626)の間に軍事的な目的で建てられた楼閣です。守御将台とは、要塞の守りを担当する守御士が軍を指揮・命令する場所です。この守御将台は、仁祖14年(1636)年丙子の乱の際に、仁祖が直接守城軍を指揮しながら清太宗率いる12万の大軍と45日間交戦した場所で、交戦の末、三田渡で屈辱的な降伏を迫られたとされています。

千里浦樹木園
 
忠清南道(泰安郡 )
千里浦樹木園は「青い目をした韓国人」と呼ばれた故ミン・ビョンガル氏(アメリカ名:Carl Ferris Miller)が40年に渡って築き上げた韓国初の樹木園です。1962年に土地を買い入れ、1970年から本格的に木を植え始められ、当初は関連分野の専門家や後援会員などに入場を制限していましたが、2009年から一部が一般にも公開されるようになりました。全体の面積が17万坪にも及ぶ樹木園は柊、木蓮、ツバキ、カエデ、ムクゲを中心とし、約13,200品種の植物が植えられています。設立者の故ミン・ビョンガル氏は生涯と全財産をかけてミンドゥン山に現在の樹木園を築き上げ、その崇高な精神と哲学で多くの人たちから尊敬を受けており、韓国が産業人に対して授与する勲章としては最高の栄誉である大韓民国勲章「金塔産業勲章」を山林分野で初めて受賞しました。

休休庵
 
江原道(襄陽郡)
休休庵(ヒュヒュアム)は建てられてまだ10年ほどしか経っていない寺院です。寺の裏側から海を見下ろすと、亀の形をした広い岩と、横たわる仏様の形をした岩があり、亀の形をした岩が仏様に向かってお辞儀をしているような姿に見えます。仏様の形の岩の右にある絶壁の上には、チュン岩とよばれる大きな岩が2つ並んでおり、木魚を置いたまま下の仏像に向かって合掌し、お辞儀をしている僧侶のような形をしています。

坡州三陵[ユネスコ世界文化遺産]
 
京畿道(坡州市 )
坡州三陵は恭陵、順陵、永陵の3つの陵で構成されています。恭陵は朝鮮第8代睿宗の太子妃である章順王后(1445-1461年)韓氏の墓ですが、章順王后が太子妃として亡くなったので簡略に作られました。一般的に立てられる望柱石(墓の前の両側にたてる一組の石柱)も省略されています。順陵は朝鮮第9代成宗の妃である恭恵王后(1456-1474年)韓氏の単陵です。全体的な陵の構成形式は恭陵と同じですが、順陵は王妃の陵であるため、恭陵に比べて、多くの石物(墓の前に置かれる石で作られたさまざまな物)が置かれています。恭恵王后は韓明澮の4番目の娘で、恭陵に埋葬された章順王后とは実の姉妹でした。 姉妹が揃って王妃となった例は、朝鮮王朝500年の歴史で前例がないことでした。永陵は英祖の長男である追尊王真宗(1719-1728年)と彼の妃である孝純王后(1715-1751年)趙氏の陵です。真宗は7歳で皇太子に冊封されましたが、1728年に昌慶宮の進修堂ジンスダンで夭折し(若くして亡くなり)ました。孝純王后は13歳で太子妃に冊封され、1751年に子のいないまま37歳で亡くなりました。

虎尾串灯台
 
慶尚北道(浦項市 )
1908年4月11日に着工、11月19日に竣工、12月20日に点灯しました。名称は建立当時、冬外串灯台でしたが1934年に長鬐甲灯台に変更され、1995年に虎尾串灯台となりました。この灯台は八角形の煉瓦塔で鉄筋を使わずに煉瓦だけで建てられ、内部は6階に分かれていて高さは26.4mです。内部の天井には大韓帝国の皇室の模様である李花文が刻まれており、扉と窓は古代ギリシャ神殿の建築様式に装飾されています。

麗水忠愍祠
 
全羅南道(麗水市 )
忠愍祠(チュンミンサ)は馬来(マレ)山(385.2m)のふもとに位置しています。1601年に体察使(非常時の軍務総括官)である李恒福(イ・ハンボク)が王命を受けて壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後の民心を探り、統制使(水軍の総指揮官)であった李時言(イ・シオン)に命じて建立させたものです。1993年6月1日に国家史跡第381号に指定されました。