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ソウル(江西区)
ソウル植物園(서울식물원)
ソウル植物園は世界12都市の植物と植物文化を紹介し、都市における自然と生態に対する向き合い方を高めるためソウルに残る最後の開発地域・麻谷(マゴク)地域に造成されました。ソウル植物園は植物園と公園があるいわば「ボタニックパーク」で、その面積はサッカー場70面分の広さに及びます。 絶滅危惧種に指定された野生植物の生息地を拡大し繁殖が難しい種の増殖研究、品種開発など植物の育成という植物研究保全機関の本来の役割はもちろんのこと、都市の庭園文化拡大の最前線基地として、そして生涯教育機関としての役割も担っています。 ソウル植物園は、開かれた森、テーマ園、湖水園、湿地園の4つのエリアに分かれ、中でもその中心となっているのが植物文化センターや野外テーマ庭園、麻谷文化館があるテーマ園です。
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全羅南道(莞島郡 )
映画『風の丘を越えて』撮影地(영화'서편제'촬영지)
映画(ヨンファ)『風の丘を越えて(ソピョンジェ)』はイ・チョンジュンの原作をもとに「パンソリ」という韓国固有の伝統音楽を題材に韓国人の恨(ハン)を見事に描いたイム・グォンテク監督の作品です。韓国映画史上初めて100万人以上の動員を記録し、大鐘賞6部門を授賞、主演であるパンソリの歌い手オ・ジョンへが一躍忠武路のスターとなりました。作品性も素晴しいが、韓国固有の拍子と美しい自然が一つとなりさらなる絶賛を受けました。 『風の丘を越えて』の撮影地この映画の中では、衰退していく大衆芸術の歴史が旅芸人である主人公の生の中で表現されています。歌い手の父と娘と義理の息子の壮絶な生、娘が父とパンソリから離れてしまうのを恐れて娘を失明させてまでパンソリに固執する父親の物語です。 * 青山島 - 全羅南道莞島郡青山面ダンリマウル この場所が有名な理由は、ユボン一家が黄土道を下りながら珍島アリランを歌うという名シーンが撮影された場所だからです。すぐそばにはソンファがパンソリを学んだ家が復元されています。 ▶アクセス方法 - 莞島 - 青山島行きの船便を利用(お問い合わせ - 莞島旅客船ターミナル:82-61-552-0116) * 頭輪山/大興寺 大興寺は海南邑から東南方向に12㎞程離れた頭輪山道立公園内に位置しています。新羅の僧侶阿道和尙が創建したと言われており、その後数回修復されました。 * 遊仙館 - 韓屋(韓国古来の家屋)の旅館で、『西便制』の撮影地として有名になりました。 宿泊費は 30,000ウォン ~ 120,000ウォン程度です。 (2人部屋 30,000ウォン / 4人部屋 60,000ウォン / 6人部屋 120,000ウォン) ※ お問い合わせ: 82-61-534-2959
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慶尚北道(浦項市 )
九龍浦日本人家屋通り(구룡포 일본인 가옥거리)
九龍浦(クリョンポ)日本人家屋通りは1883年朝鮮と日本との間で締結した「朝日通商章程」以降、日本人が朝鮮に渡り居住したところで「日本人家屋通り」として当時の家屋が数軒残っていたところを浦項市が「日本人家屋通り」として整備したところです。 当時の料理店として使われていた「古里屋(ふるさとや)」の日本家屋は当時の内部をそのまま残し喫茶店として現在では営業しています。日本のさまざまなお茶を楽しむことができ、浴衣の試着体験も可能です。 また日本人が勉強した小学校や1900年代当時使われた形を再現して作られた郵便ポストなどもあります。 公園の階段から見下ろすと目の前には素晴らしい漁村が開け、漁村の生活が手にとるように感じされることから大韓民国景観大賞を受賞した場所でもあります。
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慶尚南道(南海郡 )
園芸芸術村(원예예술촌)
園芸芸術村 HOUSE N GARDENはタレントのパク・ウォンスクをはじめ、園芸は同じ思いで、人生の夢を抱いてきた美しい庭園が造られました。誰もが夢見た家を、庭園をここで発見することができればと造られました。何年におよぶ苦労の末、香り、やしの木、彫刻、盆栽、風車、スパなどをテーマにした個人の庭園や蓮池、展望デッキ、八角閣、噴水、温室などがあります。また、最新施設の映像室、展示室、体験室、カフェ、ゲストハウスがあります。
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ソウル(鍾路区)
慶熙宮 興化門(경희궁 흥화문)
※ 2019~2020 韓国観光100選 ※ 慶熙宮(キョンヒグン)興化門(フンファムン)は朝鮮時代の光海君8(1616)年に建立された慶熙宮の正門です。 慶熙宮は建立当初、慶徳宮(キョンドックン)と呼ばれ、景福宮(キョンボックン)を北闕(プックォル=北の王宮の意)、昌徳宮(チャンドックン)を東闕(トングォル)と別名呼んでいたことから、西闕(ソグォル)とも呼ばれていました。 元々この場所には朝鮮時代の第16代の王・仁祖(インジョ・1595~1649年)の実父で第14代の王・元宗(ウォンジョン・1580~1619年)が王位に就く前に暮らしていた潜邸がありましたが、第15代の王・光海君(クァンヘグン・1575~1641年)がこの潜邸の場所が風水地理でいう王を誕生させる王気が集まる土地と信じ、この家を奪い、新たに慶徳宮を建立するに至りました。 日帝強占期の1910年には慶熙宮を取り壊し、京城中学校(現在のソウル高等学校の前身)を設立しました。この時、興化門は残されましたが、1932年、安重根(アン・ジュングン)義士が暗殺した伊藤博文の祠堂・博文寺の正門として移築されました。 1979年、新羅ホテルが博文寺があったソウル特別市中区(チュング)奨忠洞(チャンチュンドン)にオープンし、一時、新羅ホテルの正門として使われましたが、1988年再び現在の地に移築されました。 なお慶熙宮は1986年にソウル市により公園として開放されています。
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慶尚北道(慶州市 )
慶州大陵苑一帯(경주 대릉원 일원)
※2019~20 韓国観光100選※ * 慶州 路東里古墳群 * 慶州(キョンジュ)中心部・路東里(ノドンリ)一帯にある古新羅時代の古墳群で、 鳳凰台(ポンファンデ)/飾履塚(シンニチョン)/金鈴塚(クムニョンチョン)などがあります。鳳凰台は高さ22m、直径82mで、皇南大塚(ファンナムテチョン)に次いで大規模な墓です。 鳳凰台の南にある飾履塚は、盛り土をした封墳の高さが6.5m、直径30mで、1924年の調査では、棺を置く槨(クァク・トッノル)を設けた積石木槨墳であることが明らかになりました。内部からは耳飾り、硝子製の玉で出来た胸飾り、銀製の帯、銀製の腕輪、環頭大刀、双龍環頭大刀、馬具、漆塗りの器などが出土しました。特に金冠や金銅冠の代わりに金銅製の履物が出土し、模様も独特で大変すばらしいものであったことから、この墓の名称も飾履塚と名付けられました。 鳳凰台の南側にある金鈴塚もやはり1924年に調査した墓で、長方形のくぼみを掘った後、底に河原の石や砂利を敷き詰めた高さ4mから5m、直径およそ18mから20mの積石木槨墳です。金冠、金製の耳飾り、金の腕輪、金製の帯、銅製の履物、鉄製の釜、漆塗りの器、硝子製の器、土器など数多くの遺物が出土しました。土器の中で、船の形をした土器や騎馬人物像の土器が異彩を放っています。この墓は規模が小さく、金冠や装身具の大きさが小さく、 殉葬された形跡があることから、新羅時代の王子の墓とみられています。飾履塚と金鈴塚は同じような規模・構造で、鳳凰台とともに深い関係がある墓とみられます。 (面積 - 16,902平方メートル) * 慶州 路西里古墳群* 慶州市の北西・路西洞(ノソドン)一帯にある新羅の古墳群で、現在およそ10基の大小さまざまな墓が残っています。 その中でも北側にある第130号墳は路東里古墳群の鳳凰台と対をなし、西鳳凰台と呼ばれています。路西里古墳群の内部構造は積石木槨墳と横穴式石室墳の二つに大きく分かれます。金冠塚(クムグァンチョン)/瑞鳳塚(ソボンチョン)/壺杅塚(ホウチョン)/銀鈴塚/第138号墳は新羅時代のもので、長方形のくぼみを掘った後、棺を置く槨を設け、河原の石や砂利を敷き詰めた積石木槨墳です。双床墳(サンサンフン)・馬塚(マチョン)・牛塚(ウチョン)などは墓の内部に割石で四角形の石室を造り、古墳の入口から石室までの間に羨道(ヨンド/ノルギル)を設ける横穴式石室墳で、新羅時代の様式となっています。 金冠塚は1921年に調査が行われましたが、金冠や金製の帯をはじめとしたさまざまな豪華な金工芸品が数多く出土しました。 西鳳塚は瓢の形をした双円墳の北側の墓で、鳳凰の装飾が付いた金冠が出土しました。また年代が刻まれた銀製の蓋がある器(銀盒=ウナプ)が出土し、5世紀前後に作られたものとみられます。 銀鈴塚と双円墳を形作る壺杅塚は日本の植民地支配から解放された1945年の光復以降初めての遺跡発掘で、高句麗第19代の王・広開土大王(クァンゲトテワン) を記念し、 乙卯(451)年に作られたという文字が書かれている銅製の器・銅盒(トンハプ)が出土しました。双床墳・馬塚・牛塚などは統一新羅時代初期の横穴式石室墳で、大部分盗掘され、詳しいことは分かっていませんが、双床塚からは統一新羅時代の土器の破片、馬塚からは馬の骨や鞍の一部などが出土しました。 路西里古墳群は路東里古墳群と似た性格の積石木槨墳と前期石室墳が混在し、墓の形態が移りゆく過程を示しており、これは慶州地域の墓の変遷を知ることができる、重要な史料と高く評価されています。 (面積 - 44,200平方メートル) * 慶州皇南里古墳群 * 慶州市庁舎南の反対側一帯にある古墳群で、味鄒王陵(ミチュワンヌン)をはじめ、およそ250基の古墳があり、古墳公園となっています。 1973年には天馬塚の発掘調査を実施し、金冠及び天馬が彩色付きで描かれた白樺樹皮障泥(馬の鞍についている泥よけ)が出土、この泥よけに描かれた馬は新羅時代の絵画としては唯一最古のものとして広く知られています。現在は古墳内部に入り見学できるように復元し、一般に公開されています。また古墳のうち、最も規模が大きい皇南大塚98号墳は1973年から75年にかけて発掘され復元されたものですが、この古墳の発掘により統一新羅以前に積石木槨墳や小型石槨墳が混在していたことが明らかになりました。 * 沿革 * 慶州市内の皇南洞一帯に分布している新羅時代初期の墓で、一部はは大陵苑区域の中にあります。日帝強占期(1910~45年)につけられた通し番号90~114、151~151号である円形に土を盛り上げた30基の墓です。大きな墓は積石木槨墳で、周囲には封墳がなくなった小さな墓があります。大陵苑の中には伝・味鄒王陵をはじめ、天馬塚や皇南大塚などがあります。1973年に発掘調査された天馬塚は直径47m、高さ12.7mで、金冠をはじめ多くの遺物が出土しました。 当時天馬塚が描かれた馬の鞍についた泥よけ・障泥(チャンニ)が出土したため、「天馬塚」と呼ばれ、現在ではっその内部が一般に公開されています。また、1973年から75年にかけて発掘調査された皇南大塚は南北の長さが120m、東西の幅が80m、高さ23mの巨大な双円墳で、南側の墓からは金銅冠や男性の骨の一部、そして多くの遺物が出土しました。 北側の墓からも金冠や夫人帯という文字が刻まれた銀製の帯など多くの遺品が出土しました。南側の墓に埋葬された人物は男性、北側の墓に埋葬された人物は女性で、夫婦の墓をくっつける形で造ったものとみられます。
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釜山広域市(西区)
釜山中央公園(부산 중앙공원)
* 夜景が綺麗な場所、中央公園(大庁公園)* 中央公園(チュンアンコンウォン)は旧・大庁公園(テチョンコンウォン)と旧・大新(テシン)公園を含む亀峰山(クボンサン)一帯の名称で、国家や民族のため犠牲となった英霊の崇高な志を後世まで広く伝えるため忠魂塔、4.19慰霊塔、光復記念館、各種記念碑などがある釜山を代表する史蹟公園です。 6.25動乱(韓国戦争/1950-53)時、バラック村となった大庁山を公園に造成した中央公園ですが、釜山港が一望できる夜景の美しい名所として有名なところでもあります。 公園内には釜山・慶尚南道出身戦没将兵の英霊9,279柱を祀る高さ70mの忠魂塔や海軍戦勝碑、市民憲章碑、中央公園碑及び大韓民国臨時政府の国務委員であった張建相(チャン・ゴンサン)銅像があります。 中央(大庁)公園には一年を通じていつでも花を観賞できる花の丘があり、またさまざまな彫刻が野外展示され、彫刻公園としても市民に知られています。 この他、中央公園の敷地内にはゲートボール場、バドミントン場などがあり、誰でも簡単にスポーツが楽しめます。早朝には主に中高年層を対象にした気功やエアロビクスなども行われ、市民の生活の中に息づいた公園となっています。釜山市都市計画公園造成の変更決定により、1986年12月2日付で名称が中央公園に変更されました。
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慶尚北道(青松郡 )
寺谷渓谷(절골계곡)
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ソウル(龍山区)
緑莎坪駅 地下芸術庭園(녹사평역 지하예술정원)
ソウル地下鉄6号線・緑莎坪(ノクサピョン=龍山区庁)駅は、2019年3月ソウル特別市の公共美術プロジェクトにより、芸術と自然が織りなす文化スペースとして新たに生まれ変わりました。 緑莎坪駅は、地下5階のプラットフォームに降りた瞬間から地上に上っていくまでの間、様々なアート作品を鑑賞できる文化スペースとなっています。
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ソウル(鍾路区)
採石場展望台(채석장 전망대)
駱山(ナクサン)の麓にある採石場と呼ばれる一帯は、日帝強占期(1910~1945年)朝鮮総督府や旧ソウル駅などを建設する際に石材を切り出した場所でした。 韓国戦争(1950~1953年・休戦)以降、ここに人々が引っ越しはじめ、また戦争避難民も住み始めたことから、次第に街が形成されていきました。 2007年には一帯がニュータウン地域に指定され、団地が建設されるところでしたが、住民らの反対により指定が取り消されたという経緯があります。 現在ではこのエリアは韓国の都市再生のモデルケースとして高く評価されている地域になりました。 2019年11月に採石場跡地の小高い丘の上にオープンした昌信(チャンシン)崇仁(スンイン)採石場展望台は、ソウルの景色が一望できる素晴らしい展望台です。展望台からの眺望が素晴らしく、いまでは数多くの人々が訪れています。
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